
皆さま、はじめまして。株式会社シェルクレールの代表歯科衛生士、佐藤朱美と申します。このたびコラムを担当させていただくことになりました。どうぞお付き合いくださいませ。
さて、少しだけ自己紹介を。1972年、北海道の最北端、稚内で生まれ、歯科衛生士専門学校を卒業してから来年で33年目を迎えます。卒業してから最初に働いたのは東京の歯科医院。東京の忙しさにも何とか慣れてきたところで結婚、そして大阪へと引っ越しました。大阪ではまず2軒の歯科医院を開業しました。これだけ聞くと順調に思えますが、まあ人生は波乱万丈。開業後に離婚を経験し、シングルマザーとして2人の子供を育てながら、複数の歯科医院でフリーランスとして働くことになりました。思えば、朝から晩まで掛け持ちの毎日で、財布の中は常に「風が吹いている」ような状態でしたが、そのときの経験が今の私を支えている気がします。実はその頃、ほんの少しの収入をつぎ込んで、初代リップクリームの商品開発にも挑戦していました。「商品を通して少しでも多くの人に笑顔を届けたい」と思って、頑張って作ったリップクリーム。初めて商品ができたときは、嬉しい気持ちでいっぱいでした。今でもその時の熱い気持ちは忘れません。
そして、その後は「ボーテ」という会社を立ち上げ、ホワイトニング専門クリニックの経営や研修、商品開発にも携わりました。歯科衛生士が開業するクリニック。初めての経験ばかり。スタッフの教育から経営まで手探りの日々でしたが、一つずつ乗り越えていくうちに自分の力も少しずつついてきたように感じました。当時のメンバーや周りの皆様に感謝です。2021年、50歳の節目でボーテを退職し、10月には現在の会社「シェルクレール」を創業。ホワイトニングやデンタルエステ、接遇マナーの研修を通して、一人ひとりの可能性を広げるお手伝いをすることを目標にしています。そうして走り始めたシェルクレールも今では北は北海道・富良野から南は沖縄・宮古島まで、さらにはモンゴルや北京にも活動の場を広げるようになりました。思い返せば、若い頃には夢にも思わなかったような活動範囲です。
そんな中でも、私の一番大切なモットーは「仕事もプライベートも子育ても全力で楽しむこと」です。人生は一度きり。振り返ってみれば、あらゆる困難も笑いに変えてしまえば、案外なんとかなるものです。死ぬこと以外はかすり傷。私の50年を振り返ると、本当にいろんな経験をしてきましたが、50歳を過ぎても「年齢はただの数字。まだまだこれからできる!やれる!」と気持ちだけは前向きです。
このコラムでは、歯科衛生士として33年間の間に経験してきたこと、そして多くの人との出会いを通じて感じたことを少しずつお伝えしていきたいと思います。もしかしたら笑ってしまうようなエピソードもあるかもしれませんが、それも私の「人生を楽しむ秘訣」です。歯科衛生士という仕事は、表舞台に立つことが少なく、縁の下の力持ちのような存在ですが、実はとてもやりがいのある仕事で活躍できる素晴らしい職種です。患者さんの笑顔を見ていると、「ああ、この仕事を選んでよかったな」と思える瞬間が何度もあります。そんな日々を皆さんにお伝えできたらと思います。
さて、次回からは具体的なエピソードを交えながら、歯科衛生士としての私の思いや気づきを少しずつご紹介していきます。どうぞお楽しみに。
株式会社シェルクレール 代表取締役
佐藤 朱美 氏